中華街 横浜
公開日:2024年3月24日
横浜中華街は、神奈川県横浜市中区山下町にある中華街である。日本最大かつ東アジア最大の中華街で、前身である1866年(慶応2年)の横浜新田居留地時代から数えると150年強の歴史をもつ。約0.2平方キロメートルのエリア内に500店以上もの店舗があり、その時々の流行によって頻繁に入れ替わっている。
1955年以前は唐人町や南京町と呼ばれていた。華僑の出身地は広東省が比較的多いが、中国各地に分散している。上海路、中山路、福建路など、地名を冠した路地が交差しており、各路地には、当該地の出身者が多い。所在地である中区の中国人人口は6000人を超える。これは同区で登録されている外国人の約4割に当たる。
1859年、横浜が開港すると外国人居留地が造成され、欧米人とともに多数の中国人買弁(中国人商人や取引仲介者)や外国人外交官の雇い人が来住した。当初、彼らは香港や広東から来ていたため、広東省出身者が多かった。その後すぐに横浜と上海、イギリスの植民地の香港の間に定期船航路が開設されると、中国人貿易商も来住し、居留地の一角(現在の山下町)に関帝廟、中華会館、中華学校などを建てていった。これが横浜中華街の原型である。
初期の埋め立て地「横浜新田」の海岸線沿いに建てられたため、この地域のみ区画が約45°ずれている。この頃の商店は日用雑貨店、衣料品店、食料品店などの店が大半で、中華料理店は多くなかった。1872年(明治5年)には、柳麺の屋台が出始めていた。
ウィキペディアから引用
2024年3月24日、雨にもかかわらず、横浜中華街は依然として多くの人で賑わっていました。最もローカルな中華料理の飲食店やグランドレストランがあり、北京、上海、広東、福建、南京、香港などの料理店がここに集まります。そして長い歴史を持つお店もたくさんあります。